元日の朝に帰省しました。

毎年恒例となっている叔母との『年越しセックス・カウントダウン射精』は

絶対に外せない行事なので(笑)、実家での年越しは不可能なんですが、

上手い言い訳が見つからず悩みました。

1月1日

午前11時頃、実家に到着。

一昨年の母とのアクシデントを思い起こし、緊張しながら久々に母と対面しましたが、

あまりにも普段通りの母の様子に拍子抜けしたくらいでした。

父とも年始の挨拶を交わして一段落。家族3人水入らずで雑煮を食べながら

積もる話に花が咲き、僕はホッと胸を撫で下ろしました。

食後に一眠りして起きると、父は2階の自室で囲碁対局番組の録画を、

母は1階のリビングルームでお笑い番組を、それぞれ観て過ごしていました。

僕がリビングに入って行くと、母は「紅茶飲む?お菓子食べる?」と言って、

お茶と菓子を用意してくれました。

ここで予め言っておきますと、もともと僕と母の仲は悪くありません。

もしかすると普通の親子より仲が良いくらいかも知れません。

実は、恥ずかしながら僕は、“甘やかされて”育ちました。

それがどれくらい過保護だったか、わかり易い例を挙げると、

『高校2年まで母と一緒に風呂に入っていました』。

もちろんいやらしい意味ではなく、幼少期からの習慣を脱するキッカケがなかっただけです。

小学6年まで母に体を洗ってもらっていて、中学から自分で洗うようになったのですが、

母と一緒に入浴する習慣はそのままになってしまっていたのです。

中学2年頃まで母と一緒の布団で寝ていましたし、

19歳で家を出るまで母の膝枕で耳掃除をしてもらったりと、かなり甘やかされていましたが、

それを父にからかわれたり、注意されたりしたこともありません。

(第一子が流れてしまったことが原因なので)

紅茶とお菓子を終えると、3人掛けソファーで寝そべってテレビを観ていた母に、

「俺も横になる!」と言って、母の背中とソファーの背もたれの間にグイグイ割って入りました。

「やだ、落っこっちゃうよー」と言う母のお尻をパシッと叩いて、

「落ちねえっつーの!」と言いながら割り込んで横になり、毛布を掛け直しました。

(昔から父が何かと母のお尻を叩くのを、小さい頃から僕が面白がって

マネをしていたのが、今でも続いているのです)

母の特徴は何と言ってもデカパイです。

昔、雑誌などで『爆乳グラビアアイドル』の写真を見ても、

(えっ、これで爆乳なの?うちのお母さんと同じくらいしかないのに?)

という感想しか持てなかったものです。毎日、風呂で母のオッパイを見ていましたから。

一緒に歩いていると、すれ違う男のほとんどが母の胸をチラチラ見ていくのがわかります。

身長は叔母とほぼ同じですが、母はポッチャリしているので、

胸もお尻も叔母よりボリュームがあります。

無口な父に対して、母はいつもキャッキャしててにぎやかで、

身近な人のモノマネをしては僕や父を笑わせます。

母の背後にピタッと体をくっつけた体勢で一緒にテレビを観ていると、CMが始まった途端、

「そういえばさぁ、おととしの暮れにお母さんそっちに泊まったじゃない。

東京で同窓会だからって」

と、話しかけて来ました。僕は、(「そういえば」どころか、それが今回の本題じゃん!)と、

内心ドキドキしながらも、「えっ?あぁ、そういえばそんな事、あったね」

と気のない返事をしました。

母は、「キミさぁ、あの時のこと覚えてる?酔っぱらっててさあ・・・」と、

一番気にしている部分をズバリ聞いて来ました。

「あの時?帰ってからも少し飲んだけど、その前に友達と飲んでたから」

と、ワザとズレた返事をすると、

「違うよー!そうじゃなくって・・・。キミ、寝ボケて、お母さんの布団に入って来たでしょ」と来た。

「ん、そうだった?知らん。全く覚えてない。で、それがどうしたの?」

と、伝家の宝刀『しらんぷり』で切り返しました。

母は、「えっ、覚えてないの・・・そう?・・・」と、言葉に詰まってしまいました。

僕は勝利を確信し、「うん、全然覚えてない」と最後の決めゼリフでこの話を終わらせました。

ところが、一番の心配事が片付いて気持ちに余裕が出たせいで、

僕はまた調子に乗って、母に余計なちょっかいを出してしまったのです。

お笑い番組を観ているので、頻繁に『笑いどころ』が来るわけですが、

その笑いどころの中でも、観客がどっと沸く、『爆笑ポイント』で

僕の左手がスルスルッと動いてしまいました。

テレビの中の観客と母がドッと笑った瞬間、僕も一緒に「ぎゃははー」と

笑いながら、母のセーターの裾からスルリと左手を滑り込ませて、母のお腹に置きました。

もちろん母は気づきましたが、「きゃはー、くすぐったいよ~」と言っただけでした。

そして次にドッと笑いが起こった時、僕はまた大きな笑い声を上げながら、

母のお腹に置いていた左手をスッと上にずらして、

母の左の乳房にあてがったのです。(ブラジャーの上からですが)

母がテレビに気を取られながらも、「ちょっと、どこさわってんのよ~」

と笑いまじりで言うと、僕もお笑いのネタにクック、クック笑っているていで、

「お母さんがソファーから落っこちないように押さえてあげてる~」と返しました。

母が胸を触られてもさほど気にしないということは、一年前のことである

程度判っていたので多少自信はありました。

その後も何度か、「人のオッパイ勝手に触らないでよ~」と言っていましたが、

かまわずに笑いどころが来るたびに乳房を揉みました。

笑いが止むと手を止めて、笑いが起こるとモミモミ。

お笑いのドサクサに紛れて約1時間、母のオッパイを揉み続けました。

当然のごとく勃起してしまったので、その体勢のままずっと母のお尻に

勃起を押し付けていましたが、それについては何も言われませんでした。

夕飯は3人そろって外食。

外で食事したあとは、カラオケ。正月ながらほぼ満室でした。

父は正月など関係ないシフト勤務の仕事で、朝5時起床、

6時には家を出るため、途中抜けします。だから最初は父優先の選曲。

午後8時に、「じゃ、母さんを頼むな!」と言って父が先に帰り、

カラオケボックスの部屋に母と2人きりになりました。

母が「じゃ、休憩して何か食べる物頼もっか?」と、膝の上でメニューを広げたので、

「うん、俺何か食う」と言いながらメニューを覗き込みつつ、

体を密着させて母の腰に手を回しました。

照明を絞った薄暗いカラオケボックスの部屋に2人っきりで、かなり

アルコールが入っていて、昼間にちょっとエッチなことがあって・・・

と色々な要素が重なって、かなりあやしい雰囲気になっていました。

僕は、「デュエットしようぜ!」と曲を入れ、イントロが始まると、

「ほら、デュエットなんだからもっとくっついて!」と、

母の上半身をグイッと引き寄せると同時に、サッとお尻に手を回しました。

母が、「こ~ら~、お尻は関係ないでしょ~」と笑ったので、

僕は(かなり酔ってるし、これは結構いけるかも・・・)と思いました。

母が一人で唄うパートになったときに、お尻を触っていた手を移動して、

レザースカートをめくり上げ、母のふとももに手を置きました。

母は、「ダ~メ、もう、さっきから。それより一緒に唄おうよ~」と、

唄うことのほうに気を取られている様子。母はカラオケ大好き人間なので、

何か適当に曲を入れて唄わせておけばOK、みたいなところがあるのです。

次の曲が始まると僕は、「だいたい横に並んで唄うっていうのがやりにくいんだよ。

お母さんが俺の前に座れば唄いやすくなるよ。デュエットなんだから」と、

ワケのわからない理屈をこねて、自分のヒザの上に母を抱きかかえました。

「ワッ、危ない~・・・なんだか解らないけど、ヘンなとこ触らないでよ」

「わかってるって!ほら、もう始まってるぞ!」

曲が流れても僕が唄い出さないので、母が一人で唄い始めると、

僕は、「ちょっと待ってろよ、ちょっとな」と言いながら、

母のセーターに手を突っ込んでブラジャーのホックを素早く外し、

「よし、準備できた!」と宣言して、母の乳房を両手で思い切り揉みはじめました。

昼間はブラジャー越しだったのでイマイチでしたが・・・やっぱりナマ乳の感触は最高です。

「あ!また勝手に人のオッパイ触ってる!」と言うので、

「ちげーよ!お母さんがソファーから落ちないようにつかまえててあげてる

んだっつ~の!むしろお礼を言ってもらいたいよ」とムチャクチャな返し。

もう、2人ともかなり乱れていました。

オッパイをしばらくモミ込んでいると乳首がピーンと立って来ました。

「よーし、じゃ次の曲は俺も一緒に唄うから。とりあえずお母さんは俺の方に向いて・・・

ほら、こっち向いて俺のヒザに座れば大丈夫だから!」

何がとりあえずで何が大丈夫なんだか・・・自分でも意味不明なことを言いながら、

母の体を自分の方に向かせて抱きかかえました。

母は、「なんじゃ、そりゃ」と言いながら、この期に及んでもまだ歌を唄う

つもりで、「これじゃあ、歌詞が見えないじゃん!」と画面の方を振り返っています。

僕は内心、(そうそう、そのまま一人で唄ってろって!こっちはデュエット

なんて最初からどうでもいいんだから)と思いながら、母のセーターをまくり上げて、

目の前にブルンッと出て来た大きな乳房にむしゃぶりつきました。

僕が夢中になって乳首をペロペロ、チューチューしはじめると、さすがに

母も、「ダメ~、もうダメ~、おしまい、おしまい!」と言い出しましたが、

そんなものでやめるワケがありません。

片腕で母の体をガッチリとロック。もう片方の手はお尻を触ったり、

めくれ上がったスカートから丸出しになったムチムチのふとももを撫でたり、

オッパイ舐めまくり、吸いまくり・・・、欲望炸裂のやりたい放題です。

ブラジャーのホックを外した時から最後までいくつもりだったので、

そこからの僕の行動は素早いものでした。

片腕で母の体をガッチリと抱いたまま、もう片手で自分のジャージのズボンと

パンツを一緒にずり下げて勃起を出すと、母のパンティーの股間部分

を横に引っ張って出来た隙間からヌルンッ、と一気に挿入しました。

体をガッチリ抱き締められたまま僕の股間にまたがった状態だった母が、

「やめて~、離して~」と言った時には、既に挿入していました。(笑)

叔母に比べてズシッとした重量感と目の前の巨乳を愉しむ余裕もなく

早くも発射したくなっていた僕は、母のお尻をゆっくりと何度か上げ下ろし

しただけで、ドピュッ、とイッてしまいました。

その後、(叔母みたいに泣かれたらちょっと面倒だな)と思っていましたが、

カラオケ店から自宅まで徒歩約15分の帰り道、母は泣くでもなく、

また、落ち込むでもなく、プリプリと怒っていました。

「やめてって言ったのに、何でするのよっ!」と言う母に、

「ちげーだろ。お母さんが変に暴れるから、入っちゃったんだろ」とふざけた

答え方をして、余計に怒る母。(笑)でも泣かれるよりはずっと楽でした。

1月2日

午前10時に起床。

顔を洗ってキッチンへ行くと、母は僕の朝食を準備中。

昨夜ほどではないにしろ、まだ機嫌が悪そうな(当たり前ですが)母に、

「何だよ。まだ怒ってんの?」と話しかけながら背後から近づき、いきなり

オッパイ鷲掴みの先制攻撃。もう行くとこまで行ってしまっているので、

何の遠慮もありません。

「あ~!もうあんたって子は!」と、怒りながらも呆れ顔の母でした。

朝食後、「こら、こら!」と抵抗する母を抱き上げて自分の部屋へ連れ込み、

ベッドで組み敷きました。エプロンを外して、セーターをたくし上げると、

「もう、やだ~。許してよ~」と、力で敵わないのがわかっているので、なかば諦め気味の様子。

僕は、「大丈夫だから。お母さんは俺の言う通りにしてればいいから」

と何の意味も無いなだめ方をしながら、乳首に吸いつきました。

「ねえ、俺、おクチでして欲しいなー」何度もしつこく要求して、おしゃぶりしてもらうことにも成功。

キンタマ袋をやわらかく揉みながら、カッポリくわえて頭を上下させた後、亀頭をペロペロ。

一連の手慣れた動作から、普段、父にサービスしていることがハッキリとわかります。

「う~、もう・・・出ちゃう!」母の口の中で1発目のドピュッ!

次はバックで挿入。

終始、「もうダメよ、これで最後にして」と繰り返す母の巨乳を思う存分揉みしだきながら、シメのドピュッ!

終わったあと、しばらくの間ベッドで母を抱き締めながら、

「お母さんはもう俺のものだからね。わかった?」と耳元でしつこく繰り返しましたが、

返事はしてくれませんでした。

父は朝が早い分、帰りも夕方4時と早いので、ここまででした。
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