幼い頃の僕は両親がいなく、寂しいものでした。
隣に越してきた親子に当時4歳のみよちゃんがいて、僕の友達として遊んだことを思い出す。
思い出すのはこの事ではなく、みよちゃんのママのことを最近よく思い出す。
僕は今20歳となり、社会人として勤めている。
当時のことを思うと今でもペニスが勃起する。
幼少期の頃、僕の家は昼間誰も居なく、1人のことが多かった。
みよちゃんママはそんな僕を気にかけ、晩御飯を毎日作りに来てくれた。
仕度がが終わると、みよちゃんママは僕をひざの上に座らせ、どうゆう訳かおっぱいを吸わせてくれた。
しかも毎日である。
今思えば不思議であるが理由がよくわからない。
その、ある日の出来事を思い出す。
ママが
「りょうくんこっちおいで・・・」
と手招きしている。
僕は何かと4畳半の部屋へ行く。
すると
「みよには内緒だからね」
と言い、セーターを捲り、大きなおっぱいを出してくれた。
思うにGカップくらいはあったと思う。
僕は甘えておっぱいを存分に楽しんだ。
毎日毎日おっぱいを独占してた。
そんな僕も中学生となり、みよちゃんママのことが既に性の対象化となりつつあった時期だ。
みよちゃんママが晩御飯の仕度にやって来た。
仕度をしているみよちゃんママをじっと見つめながら、僕はママを犯す妄想をよくしていた。
現実は、仕度が終われば必ずおっぱいを吸っていた。
しかし、最近ではそれだけでは飽き足らない。
僕は大きなおっぱいを吸いながら右手で揉みだした。
ママは怒ったりしなかった。
不思議だった。
それが原因で僕はさらにエスカレートするようになった。
忘れもしない、中3の時だ。
ママがおっぱいを吸わせてくれる時に僕は勝手にズボンを下ろし、勃起したペニスを出した。
それをママの左手に握らせ、
「ママ・・・しこしこして」
と頼んだ。
ママは優しくしてくれた。
初めて射精したことを記憶している。
それからもずーっと御飯の仕度後はおっぱい吸いながら射精してもらった。
いずれそれにも飽きたので、高1の時にはママにしゃぶってもらった。
実に気持ちよかった。
おっぱいもじゃんじゃん吸いまくり、揉みまくり、しゃぶらせまくり、最高の時期だった。
大学に合格した時は、仕度後のママを押し倒し、ペニスをマンコにねじ込みピストンを繰り返した。
若い僕は入れた状態で5回も出した。
ペニスを抜くと信じられない量のザーメンが流れ出たのを思い出す。
それでもママは怒ったりはしなかった。
大学生になってもずーっとおっぱいを吸いながら今の関係を続けていた。
ママも45歳となり、大きなおっぱいも気持ち垂れ気味ではあるがまだまだ現役である。
大きさはほとんど変わっていない。
ただ、乳輪だけは僕が吸い過ぎのため真っ黒になっている。
でもやめられない。
フェロモンが出まくっている熟女となったが、僕は彼女よりも性の愛称がいいのだ。
だから、いまだにおっぱいを攻めてペニスで突いて、ママをいかせるのが毎日の日課となっていた。
残念なのが、20歳となった今、ママは隣にはもういない。
みよちゃんママは旦那の転勤で姿を消した。
だから、今は自分の彼女をガンガンにいかせる。
容赦はしない。
若い女は、それはそれでいいものだ。
けどママさんには負けるな・・・。
また誰でもいいからママさんとやりたいな・・・。
ボインじゃなきゃだめだけど・・・。
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