【人妻体験談】人妻の本性が見えるエロ体験談まとめ

【人妻体験談】人妻の本性が見えるエロ体験談をまとめました!夫がいるのに淫らにヨガり狂う、自分の意思とは関係なしに本能でエッチを求める『女』として正直に生きる姿をご覧ください。

2016年11月

23年前、私(40歳、課長)の職場に雅美がパートでやってきた。

32歳。

10月からの半年の雇用対策で、私の下で事務的な仕事をすることになった。

長髪の美人でしかもプロポーション抜群だった。

身長163㎝、バストはおよそ90㎝。

高校ではバレーのエースアタッカー。

正男という小学5年生の男の子がいた。

旦那の浮気による離婚で、実家の近くのアパートに越してきていた。

パート募集の張り紙を見て応募してきた。

美人だし、面接をした私は即決で採用を決めた。

彼女が勤め始めた。

結婚前に事務をしていたから、覚えは早かった。

いろいろ仕事を教えてあげた。

が、1週間目に彼女は大きなミスをした。

たまたま印刷室を通りかかったとき、ぼうぜんとしている彼女がいた。

聞くと、部長から預かった重要会議資料をコピー機でなくシュレッダーにかけてしまったという。

運良く私の提案した資料だったので、こっそり彼女に新しいのを渡して事なきを得た。

ほっとした彼女は私に感謝した。

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膣の温もりが、亀頭を通じて感じられると、にわかに全身が熱くなり、つま先から頭の天辺まで、電撃的な快感が走り、小刻みな痙攣を数回繰り返しながら、私は射精した。

母は、上体を少し反らせながら、”ああ・・・”と、小さな声を挙げた。

ペニスの痙攣が止むと、母は放出された精液をすべて吸い取るかのように膣を締め、ゆっくりと腰を上げて、結合を解いた。

立ち上がった母の女性器から、精液が滴り落ちた。

浴室は、青臭い精液の臭いで満たされた。

その光景は、インスタントカメラやデジカメましてやビデオカメラなどのお手軽な記憶装置がない時代であったから、いっそう鮮明な記憶となって、残っている。

その日、当時はすこぶるマイナーであった、サッカー部の練習から自宅に戻ると、母は風呂を使っていた。

「淳君、お帰りなさい」

「ちょっと、背中を流してくれない?」

「いつも、自分で流しているのではないの?」

私は、やや不機嫌に答えた。

「母さん、働きすぎて、四十肩というのかしら、肩が少し痛くてうまく後ろに回らないいのよ。だから、お願いしているの。いやなの?」

私は、パンツ姿になり、浴室に入った。

母は、檜で作られた浴椅子に腰掛け、浴室の鏡に向い、背中を浴室の入り口に向けていた。

鏡は浴室の入り口の方を向いていたので、母の肩越しに、母の陰部が写っているのが見えた。

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お母さんは40代、元実業団バレーの選手で全日本のメンバーでした。

今はリポーターなどをしているN・Mさんの先輩に当たるそうで、現役時代の写真の中に何枚かチームメンバーとのショットがあり、N・Mさんとの2ショットもあります。

しかし、試合にはなかなかでられず、どんどんと後輩に先を越され、実業団チームから解雇されたそうで、それが今でも悔しいみたいです。

その後、転職した会社の同僚と結婚し僕が生まれました。

中学校の母親参観では、身長の高いお母さんは人目につきやすく、またそこそこに美人だったので、同級生からはよく羨ましがられました。

そんなお母さんを僕が女として意識してしまったのは、高校1年の夏休みの事でした。

長期出張が多かった父親が赴任先のOLと不倫関係になり、お母さんとすったもんだの挙句に離婚した事がきっかけでした。

専業主婦だったお母さんはパートに出るようになり、そこで仲良くなったおばさんの紹介で、土日のママさんバレーチームに参加するようになりました。

初試合の3週間ほど前にユニフォームができ、それを試着したお母さんを見ました。

Tシャツに黒い短パン姿のお母さんを見た瞬間、僕は勃起してしまい、それ以来オナニーする時はお母さんが20歳代で現役だった頃の黒いブルマーをはいたユニフォーム姿の写真を見て、抜いていました。

秋ごろの事です。

その日もお母さんの写真を見ながらオナニーをしていたのですが、うっかり寝入ってしまい、下半身は裸のまま、机にはお母さんの写真が数枚放置状態でした。

そこにお母さんが入ってきたので、もう状況は一目瞭然、言い逃れできない気まずい空気でした。 

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私は、結婚して2年になる28歳の男だ。

妻は、某市立病院の看護婦で、母ひとり子ひとりの家庭だった。

もともと父親はいたが、結婚する半年前に、ガンで亡くなってしまった。

妻の親もまだ若かったので、結婚しても当然別居して暮らすつもりであったが、そういう事情で母親と同居することになった。

私は、妻と同じ市役所の日勤の技術職職員だが、妻の勤務は、日勤、夜勤、準夜勤とがあり、一緒の夜を過ごすことが多くはなかった。

さらに、セックスの方は、新婚の数ヶ月はむさぼるようにして行ったが、その後は、妻が、夜勤、準夜勤のときはできないし、日勤や休暇のときも、疲れたからとか眠いからと言って拒むことも多く、セックスレスではないが、回数は年齢の割には少ない方だと思う。

それが妻に対する唯一の不満だった。

義母は、妻と顔は似ていないが、端正な聡明そうな顔をしており、40代後半の大人の色気を感じさせる女性だった。

私は結婚してから、夕食のときビールを飲むことを習慣としていたが、ある日、義母がうっかりビールを切らしてしまった。

義母はウイスキーならあるとあやまったが、私はそれなら、夕食後に飲むことにして夕食を済ませ、風呂に入った。

後片付けを終わり、風呂から出てきた義母も誘って飲み始めた。

義母は普段はまったく飲まないが、いっしょに飲み始めると、かなりいける方なのが分かった。

義母に勧められるまま飲んでいると、私の方がかなり酔っ払ってしまった。話がだんだん下ネタの方になり、さらに妻とのセックスの不満にまで及んでしまった。

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息子の耕太が中学3年生になり、身長が伸びるようにと部活をバスケットボール部に変えました。

練習がきついのではないかと心配しましたが、サークルみたいできつい練習もないという事なので安心しました。

息子は優しい性格なので、直ぐに友達も出来て部活が終わっても一緒に帰ってくるようになりました。

夕方、用事が終わり家に帰ると、息子の友達がきてました。

部活の仲間で、一人は息子と一緒に部活を変えたノリ君で、もう一人は部活で仲良くなった子、伸治君です。

この子は身長が170センチ以上あり、がっしりして大人のようです。

2階の息子の部屋にジュースを持って行きました。

身長の大きい伸治君は何か変な目で私を見てる感じです。まぁそういう年代かも知れません。

一週間に1~2度ゲームで遊ぶ為にやってきます。

階段を上がる時に下にいたり、トイレから出るとドアの前にいたり、何か嫌な感じです。

ある日の午前中でした。

お風呂の掃除をしていました。

『ピン・ポン・ピン・ポン』呼び鈴がなりました。

お風呂掃除していたので、デニムのミニスカートとTシャツでした。

ドアチェーンはそのままでドアを開けました。

伸治君です。

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