【人妻体験談】人妻の本性が見えるエロ体験談まとめ

【人妻体験談】人妻の本性が見えるエロ体験談をまとめました!夫がいるのに淫らにヨガり狂う、自分の意思とは関係なしに本能でエッチを求める『女』として正直に生きる姿をご覧ください。

2024年02月

俺は以前まで、いわゆる街金で働いていました。

大学で運動部にいた人は、経験ある人いると思います。

金融系の会社に入社後、切り取りの方に振り分けられたんです。

当時も就職難だったもんで、就職できただけ幸せな方でした。

俺は就職した金融会社は、3つの会社で成り立っていました。

でも実際働き始めると、もう2つの会社があったんです。

2年働いた後に俺はその1つの会社に回されました。

そこはいわゆる借金を強引でも取り立てる会社です。

本部で2年働いてて、ある程度感覚はマヒしていました。

アメフトやってた俺は、体力とガタイと力にはちょっと自信があります。

多分それを買われたんでしょうね。

いきなり配属されたんで出社してみたら、もうそこはヤ○ザの事務所ですよ。

映画で見るような「仁義」とか神棚はありませんでしたけどね。

俺はある先輩の下でまず働かされました。

「しっかり勉強させてもらえよ!」

と上に人に言われただけで、いきなりでした。

取り立てに着いて行くと、ホント絵に書いたような借金まみれの人ばっかりです。

先輩はあんまり声を荒げる人じゃなく、逆に静かにプレッシャーかけるタイプ。

それがまた怖くて、債務者は土下座なんて当たり前でした。

働き始めて半年は辛かったです。

でも仕事だと割り切っていると慣れてくるんですよね。

今でもその感覚は怖いと思いますが。

慣れ始めた頃、午後事務所で書類の計算をしていました。

そしたらある同僚が、女性を連れて戻ってきたんです。

そんな光景は何度か見ていましたが、あまり変には思っていなかったんです。

でもその女性を見た時は違いました。

かなり動揺していたし明らかに脅えていたからです。

その女性は奥にある社長室に入って、しばらくしてから同僚だけ出てきました。

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不景気で給料激減!我が家の家計も火の車だった。

専業主婦の妻(麗子)も働くことになった。

32歳で、特に資格や経験も無い妻に、美味しい仕事がある訳も無くアルバイトかパート位だった。

そんな中、時給もまぁまぁのパチンコ店で働く事になった。

(9時~16時で、子供の世話も出来る事も決め手だった)

パチンコ店は、新店舗で家から数分の距離にあり、妻は自転車で通う事になった。

仕事初日、妻は緊張した面持ちで朝を迎え、私と子供を送り出すと会社へ向かった。

夕方、妻の様子も気になり急いで仕事を終わらせると帰宅した。

「今日どうだった?」

「近所の人多くて・・・ちょっと恥ずかしかった!」

「最初だけだよ!慣れ慣れ」

「そうだね!・・・立ちっぱなしで足痛いわ」

「マッサージしてあげようか?」

そう言って、妻の足を揉んで揚げ、湿布を張ってあげる。

翌日、妻が朝食を用意していたが、パチンコ店の制服を着ていた。

紺色の制服だったが、とても短いタイトスカートに胸元まで開いたブラウスの上にベストを着ている。

まぁ、客相手の仕事であるから、少々の露出は覚悟していたが、ここまでとは思わなかった。

「随分、露出している服装だな!」

「ん~ちょっと恥ずかしいけど、みんな同じだし」

「女性は多いの?」

「ん~店内は女性が大半!でも若いかな?」

「そうなんだ、麗子若く見えるよ」

「あら!嬉しい事言ってくれて~」

「おじさんとか結構見て来るんじゃない」

「そうね!目線は気になるかな?」

「そうだよね。ちょっとヤキモチやいちゃうよ」

「大丈夫!貴方以外考えていないから」

そんな言葉にちょっと安心し、2週間が過ぎた頃に妻が溜め息をついていた。

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私の、昔の思い出を聞いて下さい。

私がまだ中学二年生の頃でした。

私は父親の仕事の都合でタイのバンコックに住んでいました。

当時でもタイの日本人社会は大きく、駐在員の家族を含め多数の日本人が住んでいました。

日本人の駐在員の奥様達は、開放的なタイの気候、風土の為か中学生の私にも刺激的な話が聞かれました。

クラスメートのお母さんの一人が幼稚部の先生をしていた方ですが、日本人小学校の先生とできてしまった事件も有りました。

小学校の卒業謝恩会にピンクの透け透けのブラウスを着てくるお母さんもいました。

子供、と言っても小学6年生で初めてオナニーを経験した私には、オナニーの材料となる開放的なお母さん達が大勢いて、中学生の頃は毎日最低2回はオナニーをしてました。

そんな中で印象深い奥様を何人か紹介しましょう。

一人目は臨時で英語の教師として採用された、H子さんです。

この奥様は某商社員の奥様なのですが、英語の先生が一人産休を取られた為、臨時教員として採用されました。

年齢は30台前半で、背丈は155センチは無かったと思います。

胸は大きかった、90CM近かったのではないでしょうか。

何と言うかとても肉感的な奥様で、おっぱいが砲弾的に白い薄いブラウスを押し上げていたのが印象的です。

そして何より私のあそこを硬くしたのは、むっちりとした腕が上がる時に見える真っ黒な大量の脇毛でした。

授業中に髪の毛を押し上げるしぐさが多かったもので、暑いバンコックのことですから、ほぼ連日ノースリーブの脇の下に収まりきれない脇毛が堪能出来ました。

私は、男らしいと言うよりは可愛らしいタイプでした。

先生、特に女性の先生の受けは良く、可愛がって貰いました。

私との秘密が出来たのは、休日に私が一人でマーケットに買い物に言った時、奥様に偶然出会ったのです。

私は、マーケットに近くの日本人がやっている工作道具を売っている店で買い物をした帰りでしたが、奥様はくだもの等の買い出しでマーケット来ていたようでした。

タクシーでも拾って家に帰ろうとしていた私は

「T君、こんな所で何しているの」

との車からの声に呼び止められました。

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中学1~3年にかけての話だ。

真面目に学校にも通い、クラブにも参加し日々を過ごしていた。

ただ、性に関しては人一倍興味があった!

小学生の頃、友達と毎日のようにかくれんぼ・缶蹴りに明け暮れた。

今から考えると何がそんなに楽しかったのかは判らないが、毎日が充実していた。

リーマンの今とは大違いだ!

缶蹴りには、かくれんぼと鬼ごっこの2つを同時にできる楽しみがある。

これがおもしろい物で、子供が隠れるようなところにはなぜかエロ本がよく見かけれるのはなぜ?

毎日毎日おもしろいくらいに見つかる♪たまに、『わざと置いてくれてねぇ??』な~んて勝手に妄想。

でも、なぜか人妻物が多かったんだなぁ~これが。

ひょんな事から性に目覚め、きっかけになったのが人妻系。

もちろん初めの頃は、人妻=奥さんだけしか認識もできなかった。

小学生の自分には、=年上女性♪みたいな事がおき、大人の年上女性が好きになっていたった。

同年代の友達以外にも、遊ぶ奴はいた。

近所の年下の男の子だ。

この子のお母さんは30半ばで、すごく美人とまではいかないが、綺麗ななんというか

『細身の割に脂肪が良い感じについた、抱き心地の良さそうな女(女性ホルモンの塊か?)』

そんなふうに感じ、今までは近所のおばちゃんだったこの人妻を、意識しはじめた事には理由があった。

中学校に入るなり、小学生とは遊ばないとカッコをつけはじめた俺は、近所の年下の男の子とも遊ばなくなっていった。

しかし、ある日のクラブ帰り、人妻の家を通る際上から何やら落ちてきた。

ブラジャーだった。

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うちの母親と仲良しのオバサン3人がいて、その中のオバサン(京子さん)から自分に電話があった。

「免許が無いから買い物に付き合ってほしい」

との事、その京子さんは爆乳で以前から、おかずにしながらオナニーをしていた程だったので2つ返事でOK!を出し行く事になった。

昼ごろ買い物も終わり食事をご馳走になり、ぶらぶらとドライブをしていた。

地方の為ラブホ街も多く、自分も又と無いチャンスだった為、自然とそちらの方へ車を走らせていた。

何も知らない振りをして

「すごいね・・こんな所あるんだ?」

なんて言ったら

「本当にすごいね」

と、

自分もここまで来たらといった感じで京子さんに

「オバサンラブホ行った事あります?」

と言ったら

「私ないのよ」

と言ってきた。

何気に

「なんか設備が凄いらしいですよ?社会見学で入ってみませんか?」

と言ってしまった。

京子さんも

「夕方まで時間あるし入ってみようか」

と、うちの母親が友達だったのか安心していたみたいだった。

ホテルに入り部屋のゴージャスと、テレビの大きさに驚いていた様子だった。そのうちに2人でソファーにすわりビールで乾杯していた、少し顔が赤くなってきた京子さんに

「おばさん、AVって見た事あります?」

と尋ねたら

「私見た事ないのよ、」

かなり興味があったみたいで目を丸くしていた。

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